2018年4月27日金曜日

コーヒーブレイク 第18回 星野仙一氏との思い出


このコーナーは赤木院長の個人的な趣味を綴ったものです。下手な文章にはご容赦。
今年201814日星野仙一氏が死去されました。選手時代は闘争心あふれるプレイスタイルで活躍し,阪神の監督に就任されてからは厳しさの中にも愛情あふれる姿が印象的で,引退されてからも隠そうとしても隠し切れない野球に対する熱い情熱を感じさせる素晴らしい野球人でした。数多くの人がそんな星野氏に魅せられていました。

かくいう私もその一人で,2003年の阪神優勝のパレード時は星野氏を一目見ようと当時住んでいた島根県から駆けつけたくらいです。最近も東京と大阪で2度のお別れの会が開かれ多数の方々が献花に訪れたことをニュースで聞いた人もいると思います。

実は赤木には星野仙一氏と個人的なエピソードがあります。2年前の皮膚科学会に特別講演の講師として星野仙一氏が招かれ,学会後のパーティにも参加され乾杯の音頭もとられました。先述したように星野さんの大ファンであった赤木は早速近づいてサインを書いてもらうようお願いしました。

 ところが「こんなパーティでサインを頼むとは何事だ。」とすごく怒られてしまいました。燃える男と呼ばれ,中日の監督時代には試合の乱闘で本来なら選手を引き留める役目でありながら「かかってこんかい。」と率先して乱闘に加わっていたあの星野さんですから,目の前にしたその迫力や怖さといったら言葉では表現できません。それでも「書いてやるから早く渡さんかい。」と言われ,おそるおそる色紙とサインペンを手渡そうとしたところ「(サインペンの)キャップを外さんかい。」とまた怒鳴られ,私は自分の体が固くなるのを感じました。

 写真のようになんとかサイン色紙を頂きましたが,憧れの人にさんざん怒られて私がしばらく落ち込んだことは皆さんが想像される通りです。あらためてサイン色紙を見てみると,字体は崩れていますが「星野仙一」と書いてあって,左上に一部だけ読めない部分がありました。「なんて書いてあるんだろう?」長らくその答えはわからなかったのですが星野さんの死後,ある記事を読んで謎が解けました。

 「夢」 それは星野さんが好んで使われた言葉だそうです。疲れてもいたでしょう,怒ってもいたでしょう。そんな時にでも自分の名前以外に一言加えて頂けたなんて。星野さんのことを,厳しい中にものすごい優しさがある,と多くの方がその人柄を評しています。私はそんな星野さんの一面に直に接することができた感動でしばらく身が震え涙が出そうになるほどでした。

星野仙一氏のご冥福を心より祈ります。合掌。